正しいこと

ヒト日記 Returns
まじめな駄文

ヒト日記リターンズ「正しいこと」

野生動物にとって「生きる」ことは「権利」ではなく、「義務」であり「仕事」なのだなと思いました。

 

ワタクシの職場はワタクシ以外全員非喫煙者ということもあり、タバコを吸う時は外に出ます。

会社の1階は駐車場になっており、駐車場には倉庫と呼ぶほどでもない小さな物置が付いています。その物置にはスチールシェルフが置いてあるので、そこに灰皿を置いて1日何度か息抜きに行きます。駐車場の隣は宅地ですがまだ買い手も付いていないため、シロツメクサや雑草で覆われ平たく言えば荒れ放題です。足を踏み入れる人間もいません。およそ歩こうなどとは思えない荒れようなのです。

ある晴れた日にワタクシがその駐車場の片隅で息抜きをしていると、目の端で「何か」が動いた気がしました。ふと空き地に目をやると、確かに「何か」がもそもそと動いているのです。犬か、猫か、それとも単にゴミが風で揺れているだけなのか。ワタクシはその「何か」に近付いて行きました。

その「何か」の正体は鴨でした。

鴨はワタクシが手を伸ばせば届く距離にまで近付いているというのに、逃げようとはしません。怪我をしていて飛べないのか、草や何かに足を取られて動けないのか。

次の日も鴨はその場所にうずくまっていました。野鳥に関して知識のある方ならすぐにわかったのかもしれませんが、無知なワタクシは本当に怪我か何かで飛べないのだと思い込んでいました。

そしてとうとう3日目に心配な気持ちが高まり、うずくまり動かない鴨の尾羽を突付いてみたのです。驚いた鴨は2、3歩、ものすごい速さでその場所から逃げました。

鴨のうずくまっていた場所には、綺麗に編みこまれた巣と、9つの卵があったのです。まさか野鳥が、こんな人間の目に付く場所で卵を産むと思っていなかったワタクシは驚きと共にとても安堵しました。鴨が動かなかったのは怪我で飛べなかったからではなく、卵を抱えていたからだとわかったからです。

それから毎日、息抜きの都度その鴨の様子を見に行きました。あまり近寄り過ぎると危険を感じて卵を放置してしまうんじゃないかという不安もあったので、少し離れた場所から見ていました。ネットで鴨の生態なども調べ、卵は28日程度で孵化することも知りました。

ワタクシは毎日鴨の様子を伺いながら、無事にヒナが産まれることをずっと願っていました。隣は空き地ですが宅地です。きっと買い手を探していることでしょう。もしヒナが産まれる前に売れてしまい土地の整備が始まったらどうしよう、ということまでが不安材料になりました。散歩中の犬や、野良猫や、蛇、カラスなど、鴨にとって敵は多いはずです。そのどれにも襲われたりしないよう、ワタクシはずっと祈っていました。

 

土日の休み明け、5月28日に、ワタクシは変わらず鴨の様子を見に行きました。すると、鴨がいるはずの場所に鴨はおらず、9つあった卵は4つになっていました。しかもその卵には穴が開いているのです。もしかしたらワタクシが鴨に気付いた時には、実は既に卵を温め始めてから10日以上経っていて、もう孵化したのか?そういう考えも一瞬起こりましたが、よく見ると巣の周りに割れた卵が転がっています。それは、会社の駐車場にも。

 

ああ、きっとこの卵はカラスにでも突付かれたのだろう……

 

ワタクシは残念な気持ちと共に、親鳥の姿を探しました。しかし見える範囲に鴨の姿はありません。とりあえず気持ちを落ち着けようと、いつもの物置でタバコを吸うためにスチールシェルフに近付いた瞬間。

物置の奥から1匹の猫が慌てて飛び出して来ました。猫は勢いよく走り去り、電線に止まるカラスは騒がしく喚いていました。

ワタクシは薄暗い物置の奥に目を凝らし、そして愕然としました。

 

逃げたと思った親鳥が、物置の奥で無残な骸と成り果てていたからです。

 

隙を突かれて猫に襲われ逃げられなかったのか。それとも卵を守るために命をかけて戦ったのか。骸の周りにはおびただしい量の羽毛が抜け散らかり、鴨が激しく抵抗した跡が残っていました。

とりあえずワタクシはそこかしこに転がされた卵の欠片を拾い集め巣へと戻し、その上に親鳥の骸を置きました。

しかし、このまま放っておけば、また猫やカラスの餌食になることは目に見えています。かといって、隣は空き地ですが宅地です。勝手に掘り起こし骸を埋めるわけにも行きません。骸を家に持って帰り、ワタクシの家の庭に埋めるのも「何か、違う」と思いました。

引き裂かれた無惨な骸は、まだワタクシしかその存在を知りません。もし会社の誰かが気付いたら、ワタクシの知らない間に処分されてしまうかもしれない。そう思い「とりあえず目に付かないように」と、ワタクシはその骸を空き地で好き放題伸びている草で覆い隠しました。

時間が経てば、骸はやがて土に還る。誰にも気付かれないように、そっと土に還って欲しい。

そう思う反面、

相手は野鳥なのだから、天敵に襲われることも、死んで他の生き物の餌になることも、当たり前なのではないかとも思いました。野良猫も、カラスも、お腹を空かせば子育てもする。世話をしてくれる人間がいないのだから、己の力のみで生きて行かなくてはならない。サバンナに棲む草食動物が肉食動物に捕食されることと、まったく同じ話なのではないだろうか。

だとすれば、骸は野良猫やカラスや他の鳥や昆虫の栄養になるよう放っておくことが正しいのではないか。しかし骸を放置することで、骸が荒らされ、それが空き地にある間はともかく会社の駐車場にでも引っ張り込まれれば、きっと会社の誰かが片付けてしまうだろう。見守り続けた鴨が、知らない間に消えてなくなることがワタクシには酷く悲しいことに思えたのです。

どうすることが正しいのだろう。

それ以前に「どの方向から見ての正解」を求めているのだろう。

自然の摂理?

社会の倫理?

結局何の答えも出せぬまま、悩み続けるだけのワタクシは、草で覆った場所を「どうか誰にも気付かれませんように」と見ていることしかできませんでした。

しかし、

昨日骸を覆った草はすべてかされまだ割れていなかった卵も割られ、親鳥の骸は駐車場と空き地の間の溝に転がされていました。近付いた瞬間カラスが飛び立ったのできっとカラスの仕業でしょう。

きっと草で覆ったくらいでは、こういうことの繰り返しに違いない。自然の摂理を考えれば放置しておくことが正しい。でもここはサバンナではなく、街中なのです。生き物の死骸は「当然そこにあるもの」ではなく、人によっては汚物にも似た、あってはならないものなのです。

動物が車に撥ねられ道路で横たわっていることがありますが、そのほとんどが市の収集センターの職員によって引き取られて行きます。結局は燃えるゴミと一緒に燃やすらしいのですが、火葬と考えれば考えられないこともありません。ワタクシは、市の収集センターに電話をかけました。鴨の骸を引き取ってもらうためです。

ここに骸があってはいけない。放置すればきっともっと悲しいことが起こる。

ワタクシは「自然の摂理」でも「社会の倫理」でもない、「己の感情」を優先させ、決断しました。

 

「あの、卵も持って行っていただけますか?一所懸命温めていた卵なんです」収集センターから来た方にお願いすると、親鳥の骸と一緒に、割れた卵やその破片も袋に入れてくれました。

 

じっと動かず、卵を抱えていた鴨はもういません。綺麗に編まれた巣だけが、持ち主を失い役目もなく空き地に転がっています。鴨の骸と卵は、焼却されたことでしょう。たとえそれがゴミと同じ扱いだったとしても、もうその骸を荒らされることはなくなったのです。

今日も、カラになり転がっているだけの、何の役割も果たさない巣を見ては、順調に行けば今頃は鴨の親子の行進を見ていたのだろうなと思い悲しくなります。もし、天国という場所があり、噂通り「天国では一番しあわせだった頃の姿に戻る」のであればあの鴨はいま卵を温めているでしょうか。それとも、池でのびのびと泳いでいるでしょうか。

そう考えたときに、思ったのです。

野生の生き物にとっての「生」は「しあわせ」などとは程遠く、種を絶やさぬための厳しい戦いそのものではないだかろうかと。しあわせや喜び、楽しみに彩られるものではなく、「生きている」ということ、まさにそれだけのために産まれ、それ以上の理由など必要とすらしていないのではないだろうかと。

 

「生きるために、生きる」

ワタクシたち人間には、きっと生涯をかけてもわかり得ることのない厳しい世界。

この地球には、そういう「世界」もあるのです。