永遠

ヒト日記 141-160
まじめな駄文

永遠

[名・形動]
1 いつまでも果てしなく続くこと。時間を超えて存在すること。また、そのさま。「永遠に残る名曲」「永遠のスター」「永遠に語り伝える」
2 哲学で、それ自身時間の内にありながら、無限に持続すると考えられるもの。また、数学的真理のように、時間の内に知られても時間とかかわりなく妥当すると考えられるもの。

── デジタル大辞泉より

いつまでも果てしなく続くこと。

時間を超えて存在すること。

 

形あるものはいつか必ず崩壊や消失という現象で以って形を変えて行く。形のないものでさえそれが生まれた瞬間の状態をそのまま留めておくことは不可能だ。例えば、永遠に変わらない人間の感情などこの世のどこを探してもありはしない。

死ぬまできみを愛してると言ったひとの隣には別の誰かがいて、それでもいけしゃあしゃあと生きてしあわせに暮らしているという話など掃いて捨てるほどあるだろうし、目を閉じて石を投げれば心当たりのあるひとにその石がぶつかったとしても何の不思議もないくらいありふれた話だ。

 

いや、別に今更過去の恋愛に対して恨み言が言いたいわけではありませんよもちろん(奥歯を噛み締めながら)。しかしいまオレが実家にいて独身でほぼ無職だってことからも容易に答えは導けます。永遠の愛や恋などというものはないと。まあまあ無職だということとこの話って無関係では?と思った正常な判断力を失っておられないキサマのみなさまにおかれましては、当然にその判断力の一環として「大人の対応」をも身に付けておられるはずですので、見ない振りをなさるのが侘び寂びというものではないでしょうか。まったくもって違うな。

案の定話が逸れた。

時間を超えいつまでも果てしなく続くものがないからこそ、変わらぬものがないからこそ、ひとというのは「永遠」を望むのではないだろうかと、世の中の状況やひとの心、森羅万象が移り行くことを知っているから、しあわせなその瞬間を切り取り、永遠に色褪せないものとして残しておきたいのではないだろうかと思う。

写真を撮るという行為はその最たるもので、美しく盛り付けられた料理や可愛く飾られたスウィーツをスマホのカメラにおさめ、それをSNSにアップしては切り取った瞬間を世界中のひとと共有する。まあ、そんな風に思いながら一連の行動を取るひとはきっと少数で、単純に自慢だったり記録だったりすることのほうが多いのだろうけど。

 

とあるMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game)、いわゆる「ネトゲ」と呼ばれるオンラインゲームが、TVで連続ドラマとなり話題を呼んだ。のちに映画化もされたその物語は、俳優が演じる「リアルパート」と、ゲーム内でキャラクターたちが動くパートに分かれた真新しいものとなり、TVドラマや映画を観てゲームを始めたひとも多くいたという。

そのTVドラマは、あるゲーム好きのゲーマーが日々綴っていたブログを元に作られたものだ。通常では思い付かないであろう「ちょっとした試み」が、ドラマ化への大きな要素となったようだ。ドラマ化により有名になったゲーマーである「彼」に逢おうと、ゲーム内ではサーバー移動(有料 / 1,834円)を行うひとも多かった。※ ゲーム内はいくつかのデータセンターとその中にある複数のサーバーに分かれており、当時は同一のデータセンター、同一のサーバーにいなければ逢うことができなかった。現在は逢って話すくらいであればゲーム内システムを利用してサーバー間の移動が可能になっている(データセンター間は跨げない)。

彼のブログにはいつもゲームのSS(スクリーンショット)が載せられていた。彼は「写真やSSはその日を生きた証」だと言い、一瞬だけの彩りを一枚でも多く残したいと綴った。一緒に冒険をした仲間、一緒に戦った仲間、そのときすれ違い言葉を交わしただけのひと、彼に逢うためにサーバー移動して来たひとのSSもあっただろう。

その彼は長い闘病生活の末、この世を去った。

無駄に忙しい生活を送っていたためゲームにログインすることも、彼のブログを読むこともない期間が長く続いたわたしは、その一報を病院の待合室で受け取った。彼のブログに毎日訪れていた友人は、彼ががんに侵されていたこと、一旦は手術により快復に向かっていたこと、しかしそれが再発したこと、余命宣告を受けたこと、緩和病棟に移ったことを、彼は包み隠さず伝えていたのだと教えてくれた。

わたしにとっては突然の訃報だったが、彼の仲間はすべてを知り、やがて訪れるその日を頭の中で幾度となく打ち消してはその報せを受け取ったことだろう。そうか、何も知らずに突然彼を失った仲間はいなかったのか。彼は仲間に、自分を知るひとたちに、得体の知れない大きな悲しみを植え付けることのないようすべてを打ち明け、ひとり旅立った。優しいひとだったのだろうなと、たった数文字すら綴れなくなっていた彼の最後のブログを見て思った。

 

永遠を望もうと望むまいと、現実に変わりはない。真空パックにして形を留めていたとしても、冷凍保存で時間を止めていたとしても、「キープされているもの」以外の時間は、確実に流れて行く。

人間という生き物が殊更に貪欲に産まれついているのは、永遠を手にすることができないからではないかと思う。そして、「自分ひとりだけが取り残されることに耐えられないから」こそ、「変わらない何か」を得たいと考え、それを得ることによって、安心感を覚えたい生き物なのだと。

それを得るために、毎日を戦っているのだと。

 

不確かな世の中で、いつなんどき何が起こるかわからない世の中で、安心して生きて行くための心の糧。永遠に変わることのないものなどありはしないと言いながら、永遠に変わらない何かを求めている自分。

 

いつまでも果てしなく続くこと。

時間を超えて存在すること。

 

きっと誰もがそれを求め、変わらない何かを望み、永遠を形にすることを夢見ているだろう。