想像力

ヒト日記 101-120
まじめな駄文

想像力

以前の在宅とは違い毎日出勤するようになってから、休日は平日にできないことをまとめてする日として位置付けられておりますが、優先順位の1番目に「お猫サマと戯れる」という項目が来ているという時点でオトナとして以前にヒトとして何やら重大な間違いをおかしているような錯覚に陥っていますまみやですコンニチハ。

錯覚かい。

正月の絵馬や七夕の短冊に「鼻が高くなりますように」なんて悠長なことを書く前に「ヒトとして生きられますように」というもっと切実な願い事を書け、オレ。

どっちの願い事も問答無用で却下されそうです。

えー、本題(めんどくさそう)。

 

我が子を殺しちゃうヤカラのみなさんはなんで子を産むんですか?

その前に

なんで子を作るんですか?

最近、小さな子が「親に殺される」という事件が相次いでおりますが殺すんならなんで作るの?

いや、アタクシの勘違いだったら非常に申し訳ないのだが「親には子を育てる義務がある」というのが世の中的には当たり前のような気がするのだが。最近は「自分の所有物(子)なんだから生かそうが殺そうが勝手だろ」という思想が当たり前で、親は子を愛しく思い叱るときでさえも子の身を案じているから、などというのは幻なのだろうか。

あのですね。

人間のみなさんが自己都合で捨てる猫でさえ、我が子を外敵から守ろうと必死になって戦うんです。人間のみなさんが軽~く捉えている小さな命でさえ、より小さな命を守ることを知っているんです。

アホですか人間。

地球上の生態系の頂点に立つ人間っつのは生き物の中で唯一「考えること」ができる生き物だっつのは嘘か。「殴ったら痛いかな」「蹴ったら痛いかな」と想像することもできないのか。

無条件に愛情を注いでくれるはずの、無条件に自分を守ってくれるはずの親に、「うるさい」「言うことをきかない」などという理不尽極まりない感情で以って虐待される子の気持ちを想像するだけの脳味噌はナイのかキサマら。

 

お母さん。

あなたはなぜ、子を産もうと思ったんですか?愛するヒトとの愛の結晶だから?姑から放たれる圧力に耐えられなかったから?それとも、できちゃったんで致し方なく?

どんな理由があったにせよ、産もうと決めたのはお母さん、あなた自身ではありませんか?

十月十日という長い期間、さまざまな制限の中にありながら自分の胎内で大切に育み、喩えようもない痛みを乗り越えやっとの思いで産んだ小さな命に、痛みと恐怖と不安を与え続け挙句の果てに殺してしまう。

「それはいけないことなのだ」と、誰かに教わらなければわからないのか。「何人たりともひとの命を奪うようなことがあってはならない」と、言われなくちゃわからないのか。それとももっと詳細な「炎天下、閉め切った車内で赤子を2時間以上放置すると死に至ります」や「顔を水に浸して放置すると呼吸ができないため死に至ります」というガイドラインが必要なのか。

ちょっと想像すりゃわかるだろ?

どれだけ痛いか、苦しいか、熱いか、寒いか、どれだけ寂しくてどれだけ不安か。

世の中には「こどもがこどもを産むから」と、未成熟な親を揶揄する声もあるが関係ねえとアタクシは思います。こどもだって自分よりも弱い命を守ることくらい知ってるよ?

二十歳やそこらでも、例えば子のお父さんがいなくても、深い愛情で以って必死に子を育てているお母さんだって当たり前にいるのだから、何でもかんでも「環境が」「社会が」と、殺害した親以外に要因があるような(むしろそっちのほうが大きいような)いまの社会の方向性もいかがなものか。

人間として産まれて来たのなら、キッチリ人間やろうよ。
考えることができる生き物ならば、キッチリ考えようよ。

 

「親」という役は、とても大変な役なのだ。あえて自らその役を選ぶのであれば、身を削るくらいの覚悟はしておいてくれ。「いや~ん、赤ちゃんカワイイ~、欲すぃ~」くらいの気持ちならば、時々余所の子を見せてもらうくらいに留めておけ。

 

受精すんな。

 

※ 2020年12月6日追記:この文章を書いてから19年経ったいまでも、こどもを虐待死させる親や育児放棄をしてこどもを死に至らしめる親はあとを絶ちません。環境に問題がある、社会に問題があると言っていた19年前から一体何を改善し、どう環境を変え社会を変える努力をして来たのか、甚だ疑問です。殺すな。