やっぱり

2020年のひとりごと
いまの駄文

寂しさはすぐに消えない

昨日のコバさんの引退話を引きずり今日はずーっと寂しいなあという気持ちに囚われて、YouTubeの公式チャンネルを観てもコバさんの公式サイトを見てもnoteでカジャラジオ聴いてもtwitterでハナウサカイグリ見ても「いつかこれも消えちゃうんだな」という気持ちになって、あ、間宮ですコンバンハ。

諸行無常ってこういうこと?

9月のはじめに仕事でWordpressのカスタマイズとその運営に携わるようになり、どうせならうちのサイトもデザインを変えようとまた無駄にアツいカスタマイズ魂をこじらせ、そのうち「どうせなら過去ログ全部ここに移していろんなところに散らかっているものを整理してスッキリしよう」と思いはじめたのが運の尽き。いやそうじゃなくて。

データとしてしまい込んであったものをひとつひとつ読みながら、若気の至りだなあとか黒歴史だろうとか思いつつも、猫の日記にはもう姿を見ることも声を聴くことも叶わない毛玉たちの日常が溢れ、普通の日記には二度と繰り返されることのない喜びや楽しさが綴られていて、わたくしは「自分の人生の主人公が自分であった頃」を毎日確認しながら、過去に触れるということはなんと苦しくて寂しいものなのだろうと痛感しているのです。

当たり前にそこにあると思っていたから、それを失った未来など想像もせず。

 

そういう気持ちでいたところに飛び込んで来たコバさんの引退の話。

嘘でしょう?という気持ちで記事を読み、茫然としながら公式サイトやYouTubeを確認して「まだ残ってる」と「いつか消える」のふたつの気持ちが複雑に絡んでいるところで気が付きました。

こんなに寂しいと思うほどに、自分はコバさんを追いかけていただろうか。公式サイトをチェックし、公演情報をゲットし、生の舞台を観るためにチケットの争奪戦に参加し、そのときそのときのコバさんをひたむきに応援していただろうか。

今回を逃しても次があると思い、勝手にそれを信じていたからこその後悔が目の前に残っているだけだということに気付いて、寂しいと思うことすらおこがましいなと、そういう自分の本質に気付いてしまった。

うん、自分が誰より一所懸命じゃなかったよな。

 

寂しいことに変わりはないのだけど、ひとつの答えをもらったような気持ち。