死刑制度は必要か否か 3

死刑制度は必要か否か 3

死刑制度に関する話:完結

Tさま

「てるくはのる」が死んだ時には、ボクはほっとしました。ああ、これでもうあいつに何かされるヒトはいないんだ、そう思ったのです。うまく言えませんけど、この感覚を国民に与えるのが、国家の仕事ではないですか?

で、本題。

死刑賛成です。地雷とか、色々案はあったようですが、犯罪者に希望を持たせるのはいかがなものか。子供が怒られて「ちくしょー、今に見てろよー」と思うのと同じだと思います。いたずらに不安を煽るだけではないですか。大体地雷原を整地させても、手を抜かれてるんじゃないか、抜いてなくても真面目にやってないんじゃないか、と思うと恐くて歩けません。

「故意殺人」については例外なく、死刑を該当させるべきだと思います。自分が加害者には絶対ならないなんて思いません。むしろヤバい方だと思いますが、行動に移る時には、自分の命も同時に終わりにする覚悟を持っていきたいと思います。

家族・友人についてはジレンマはありますが、逃がすにしろ、自首させるにしろ、自分は隠れたくはないですね。勝手ですね。この問題は身内の部分で必ず引っ掛かります。

てるくはのるとは
1999年12月、京都市伏見区の日野小学校校庭で遊んでいた小学2年生の男児が、若い男に殺害された事件。犯人は犯行声明文とみられる文書に「私をしきべつする記号・てるくはのる」と記していたことから「てるくはのる事件」などと呼ばれた。2000年2月、6人の捜査員が被疑者宅を訪問、任意同行を求めたが被疑者は逃走の末マンションの屋上から飛び降り死亡。被疑者死亡のため不起訴処分となった。

Mさま

皆さんの意見をずらっと読みましたが奥の深い論題ですね。私なりに意見を言わせてもらいます。

私は、死刑には、賛成です。

最近の日本は、モラルの低下が著しくなってきてます。増加の一途をたどる少年犯罪をとると犯罪の増加は、少年法があるから守られてるんで名前も出ないし罪も軽くされるから大丈夫。結局刑罰が甘いから犯罪の抑止力になってないんだと思うんですよね。

だからと言って強烈な抑止力は、基本的人権にも反します。なもので今考えられる最高の抑止力として『死刑』だと思うんです。

人間最後に何が怖いかっと言えば、『死ぬ』ことなんだと思います。(死をも恐れない人がいたとしたら結局何をやっても抑止力にはならないでしょうが・・・)

アメリカみたいに禁固200年とかの刑期を負わせることができれば話も違ってくるかもしれませんが。ただ、そのアメリカでも犯罪が増えてますよね・・・やはり『生きている』ってことは、恩赦もありえるし社会に戻れるそんな希望があるんです・・・

問題は、犯罪者が更生しているかにつきます。犯罪者の更生は、確実なものではないです・・いや、かなり不確実です。これは、再犯率そして今までのレスしていらっしゃる方の内容を見れば分かると思います。

Kさま

殺人を否定している国が、国家の名で殺人を犯す。

反対。

死刑というものが殺人というものに抑止力はない、と思う。
ひとり殺せば長い懲役。1人以上殺せば死刑確実。これもおかしい。
交通事故でなくなった命と、殺意をもって殺された命、重さが違ってくるのもおかしい。

終身刑、こっちの方が私にはまだ納得がいきやすい。

Pさま

死刑に関しては、賛成です。

といっても、この「死刑」が「死にたくないから」というヒトとしての心理を取った恐怖統制的抑止力のためのものではなく、もう改心の見込みがなく「どうしうようもない」と判断されるような者に対しての最終手段として、あるべきだと思います。すでに完全にコワレてしまったような殺人者には無期懲役なんて、養うだけの税金がもったいないだけですし。それに、「刑」が本来期待すべき「改心」も望めないような犯罪者はいますからね、確実に。

それに、「この方法をを使えば絶対にバレないよ」という方法があったら、皆さんは目の前にいる見ず知らずの人を、ずっと気に食わなかったアイツを、その方法で殺しますか?

ここにいる人の中に、これに「Yes」と答える人はいないと思います。それは、「殺してはいけない」ということを当然の理として知っているからですよね。たとえ刑課が重かろうと軽かろうと。

つまり、肝要なのは「罰せられるから殺さない」ではなくて、「殺してはいけないと思うから殺せない」という思想なのではないでしょうか(それが簡単にできるようなら刑法などいらないんですが・・・)

あ、論点がズレてきましたね。結局の所、私的には法治国家にいられない、つまりは法という、理想像(国家が目指す理想)を作り上げるための鋳型に合わないものを除く手段として、死刑に賛成です。

Mさま

交通事故でなくなった命と、殺意をもって殺された命、重さが違ってくるのもおかしい。

明らかな殺意を持って、殺されてしまった方と、事故による死亡。命の重さを比べる事に対してはそういう考え方もありなのかもしれませんが、一応このスレは死刑について考える物です。殺人罪は、明らかな殺意を持って人を殺した場合にしか適用されません。殺意が認められなければ、人を殴った結果その人が死んでしまったとしても裁かれる罪は傷害致死罪ですし、交通事故の場合は業務上過失致死罪が適用されるのが普通です。他のレスを見ていても思ったんですが、死刑について語るのならば、殺人罪にのみに話を絞った方がいいと思います。殺意のない殺人については死刑になる事は先ずありません。

また、殺人罪であっても状況によっては刑が軽くなる場合もあったりします。例えば、実の親に長期にわたって暴力をふるわれていた子供が耐え切れなくなってその親を衝動的に殺してしまった場合と、自らの殺人願望に耐え切れなくなってしまって殺す、所謂快楽殺人とは同列には扱われないのも普通です。

また一応、法律上では人を一人殺しただけでも死刑は適用できるので、あまりにも凶悪犯の場合は一人でも死刑になる可能性がある(現実的にはほとんどありえないことは承知しているつもりです)。

そういう事を踏まえると、自分は死刑には賛成です。

死刑と無期懲役の刑罰の差があまりにも大きいので終身刑も必要ではないかと思っています。自分が加害者となる事を想像してみても、明らかな殺意を持って人を殺し、そしてそれが裁判で死刑と判決を下されるような酷いものであるのなら、その後も生きていて欲しいとは今の自分は思いません。

他の殺人を犯した人についてもほぼ同じような理由で死刑はあっても良いと思います。ただ、ハムラビ法典のような、目には目を歯には歯をといったような理由では死刑制度には賛成はしたくありませんが。

Mさま

結論を先に言うと反対です。

現行の法律では加害者の人権ばかりが優先されるようになっていますが、被害者の方にも人権はあると思います。殺人事件の場合、被害者の生命はすでになくなっているわけですが、被害者の人格、あるいは魂(ゴースト)というものは存在していると思うので、加害者の一番の罪は生命を奪ったことではなく、被害者の人格、魂(ゴースト)を表現する媒体を奪ったことだと思います。

よってこの場合加害者に下す妥当な判決は生命を奪うことではなく人格を奪う事だと思います。(例えば、行動の一切を規定して残りの人生を福祉介護や公共工事に従事させる等)

Nさま

死刑について→「反対」です。

やっぱり死刑がある以上、受刑者を殺さないといけなくなる人間がでてくるもんで・・・。

どなたが書いたか覚えてないんですけど、「死刑執行人の苦悩」を読んだクチです。死刑を受ける人間よりも執行する人間の方が辛いですよ。まともな倫理とか持ってる人にそんな事させても狂うだけだし。そういえば、広島に原爆落とした人も頭狂ったって聞いたような…。まぁ、そんな理由です。

でも、だからといって僕は加害者の人権を保護しろとは正直思えません。死刑かどうか審議される犯罪って、目を覆いたくなるようなものばっかりじゃないですか。あくまで、死刑は反対した上で処罰を重くして欲しいです。

あと、加害者の人権を守る為だかに被害者の遺族の方に加害者の情報を全然与えないような社会もちょっとおかしいですね、はい。

Kさま

「死刑」に賛成か反対かという前に「死刑」になりうる罪の重さが妥当かどうかも考えなくてはいけないと思います。日本では複数の人を殺したり、よほどの残虐行為をしない限り死刑が適用されることはありません。つまり「犯罪」に対する「刑」が諸外国に比べると軽いわけです。したがって日本に限って言えば、死刑を越える刑が無い以上、死刑は仕方がないと思えるわけです。

では諸外国ではどうでしょうか?私は数年前にシンガポールに行ってきましたが、シンガポールでは麻薬を所持しているだけで死刑です。同じ死刑という刑でも賛成だと言えるでしょうか?ただ1回の過ちでも、その人の人生が終わってしまうのですから。

人権問題や道徳観念の観点から死刑を考えるのと同時に、法律の妥当性や正当性についても考えなくてはいけません。例えば強大な指導力を持った政治家が出現して、自分に反対する人たちを思想犯として死刑にするようなことをした時、国民は刑の妥当性について批判できなくてはならないと思います。

何を言いたいのかというと「死刑」という刑に対して犯した罪が「妥当」かどうかの判断が重要だということです。歴史的は自分の国の国民を何千万人も死刑にした国もありますから、単純に死刑という行為に対して賛成反対を論じても意味がないと思います。

結論を言うと、現在の日本の「死刑」は罪状に対して「妥当」だと思うので、この条件内において私は死刑に賛成です。

Mさま

個人的に「死刑」は賛成です。

私も条件的に同意ですが。

最も今現在、殺人犯が悔い改め、被害者が納得する、癒される方法がないからそう思っています。

ちょっと思ったんですが
1. 殺人犯がどの様な事をしたら社会は ”悔い改め”たと言えて貰えるのでしょうか?本人は捕まった時、有罪に成った時、あるいは少しでも良心が有るのならカッとした後、人が死んだ後に悔いているのでは無いでしょうか。でもその事をどれほどの人が理解できるのでしょうか。

2. 又被害者(の家族と理解します)が納得する様な癒される方法とはどの様な事でしょうか?理想的にも大変難しいのでは?被害者そして社会に”許す”と言うのは日本的に、東洋的に”反省”さえしていれば ”情状酌量”ですか?

反省などという物は殺人と言う罪に対して被害者はすでに死んでいて、アメリカのリンカーン大統領の殺人犯ブースはどれだけの人に対して悔い改めをすれば良かったのでしょうか

Aさま

でも、命を奪った代償は、命でしか返せないと思ってます。

私も、Iさんのように、「無期懲役に疑問」を感じている者です。しかし殺人犯の命では、命を奪った相手の命への代償は払えないと思う、と言うのが私の考えです。Iさんの、命を大切に思う人としての心は、私にもとても伝わりました。

私は数年前、たまたま駅の地下道を歩いていた私の姉を、昔電車で痴漢をして駅員に突き出された人間が腹いせに「誰でもいいから女に仕返しをしたい」と言う理由で、失いました。いつもは車を運転している姉がたまたま電車を利用し、ちょうどその頃通り魔事件が報道されており危険と思った私は、歩いて15分の所まで車で迎えにいきました。駅前ロータリーがタクシーでいっぱいだったので、駅裏に車を止めて「そこまで迎えに行くよ」と言った私に、姉は「駅裏まで地下道を5分だからいいよ」と言いました。そのたった5分にも満たない時間の間に・・・。

私は、人が犯罪を犯すと言うことは、その犯罪を犯した瞬間に「人として生きる権利」や生まれてから与え守られている「人権」を放棄していると思います。その犯人に与えられる人権は無いと。犯人が死刑になって死んだとしても、その命でどれだけの償いができますか?私にはそう思えてなりません。ましてや無期懲役といっても・・・(Iさんのカキコミにあるので略)。

親戚の叔母さんに「運が悪かったね」と言われた時、真剣にこの叔母さんを憎んでしまい、「あの言葉には悪気はなく私たちへの慰め」のつもりだったろうことが解っていながら、叔母さんとは未だに口を利けないでいる私も、このように真剣な論議や思いの中に人の心が解る人を見ることで、明日を明るいモノにしようと努めるコトが出来ます。

私事でしかも関係のない話で恐縮ですが、とても感謝しています。

Hさま

ここ二三日、掲示板で死刑や少年法について色々書かれていて思い出した事件があります。議論ではありませんが、どうしてもこんな事件もあったんだよって事皆さんにも知ってて欲しくて書き込みます。知ってる方も多数いらっしゃると思いますが・・・

「山口母子殺人事件」(事件名はこれでいいはず)

この事件はその名の通り、母と娘がとある少年に殺された事件です。発見者は皮肉にも旦那さん・・・彼は生まれたばかりの愛娘(一才にもいってなかったはず)と最愛の奥さんが乱暴されて殺されている所を発見してしまったのです。犯人は強盗とレイプ目的で忍び込んだ十九歳の少年・・・少年法で守られていて身元は公表されません。

犯人は奥さんをレイプし殺し、その死体に泣きながらすがりつく小さな赤ちゃんを床にたたきつけ殺しました。旦那さんは犯人を死刑にと望みました。十八歳から死刑は執行されますから。でも、下った判決は無期懲役・・・理由は「更正の可能性がある」のとの事。旦那さんは奥さんと娘が眠る墓の前で、泣きながら謝っていました。「すまない」と何度も。そしてまだ旦那さんは戦っています。犯人を死刑にするために。

光市母子殺害事件とは
1999年4月、山口県光市において起こった殺人事件。
罪状:強姦致死罪容疑・殺人罪容疑・窃盗罪容疑
犯人が18歳1か月であったことから2000年3月山口地裁の判決は無期懲役。2002年3月、広島高裁は検察側の控訴を棄却。2006年6月、最高裁が広島高裁の判決を破棄し審理を差し戻す。2008年4月、差し戻し控訴審で広島高裁は死刑判決を言い渡すも弁護側が即日上告。2012年2月、最高裁は差し戻し控訴審を支持し弁護側の上告を棄却。事件から13年を経て死刑が確定した。

Sさま

私は条件つきで、死刑制度には賛成です。

終身刑の導入と、執行間際までに冤罪の可能性があった場合は死刑執行直前までは、ストップと延期がかけられること。また、加害者と被害者の家族に死刑執行日を知らせ、関係者に限り執行の閲覧を希望した場合参加できることを最低限もりこんでほしいです。

たしか今の制度だと、死刑執行日は死刑囚の家族にはしらされずに、面会にきた家族はある日突然遺骨をわたされるハズなので。面会に行く度既に相手は死んでるかもしれないという思いを長いときには数十年単位で味わいつづける家族というのは、ある意味死刑囚よりも心理的負担がおおきいと思うんで。

被害者の家族も希望すれば、犯人の執行をみれる。また直接行かなくても、何月何日には刑が執行されると知ることができるのは心理的になにかの区切りになると思うから。

死刑制度賛成の理由ですが、快楽の為に人を殺すような人間や殺人に対して精神的抑制がきかない人間を野放しにするのは、その人間の行動範囲にはいる可能性のある不特定多数の人命が危険にさらされるからです。そういった人間には、少年か大人かに限らず死刑を適用するべきだと思います。

野放しにしなければいいなら終身刑でもいいじゃないか?といわれそうですが、刑罰の最高刑は死刑でなければならないと思っています。

なぜなら人が社会で生きていく上でのルール(法律)に違反した人間への刑罰の最高刑は、人間が考えうるもっとも重い罰でなければならないと思うからです。もちろん「私は死ぬよりも○○の方がいやだわ。そしたら別に死刑は私にとって○○じゃないから最高刑じゃないわ」という方もいらしゃるとは思いますが、刑罰を受ける人間ごとにその人間が一番嫌だと思う刑罰を選択してかす、なんて国民すべてにたいして当てはめるルールとしては不適切だと思うので。そうすると、すべての生きている人間に当てはまる一番重い罰は「その人が生きていく権利」を奪うことだと思うのですよ。

死刑反対者の方も、終身刑については死刑ほど反対しないですよね。それは「死刑」と「終身刑」をくらべた場合、「死刑」の方が罰として厳しいと思っているからですよね。

死刑の代わりとしての終身刑ではなく、終身刑そのものには賛成です。是非、刑罰のひとつとしてもりこんでほしいと思っています。今の制度ってちょっと極端ですよね。

この世に人間が二人しかいなければ、殺人は罪にはなりません。法律やルールは人間が3人以上いて初めてなりたつものです。そしてその法律やルールは、事件の当事者(被害者と加害者)の為にあるというよりも、事件が起こった後の世界に生きていくその他の人々の生活や精神の安定のためにあるんだと思います。(事件の当事者のことはどうでもいいとかいってる訳じゃないです。今人間社会で適用されているルールが元々なんの為にできたか?という事を表現したかったので)

人が集団で生きていく以上はある一定のルールが必要です。そしてそのルールは必ず守られるという認識の元に社会はまわっています。ルールを守らない人には制裁(刑罰)がくわえられる事によって、そのルールはより堅固になります。

皆がルールを守っている社会で、一人だけルールを守らない人間がいた場合。ルール違反をしたものになんら罰がなければ、違反者の一人勝ちです。守られないかもしれないルールを適用するゲームなんてないでしょう。罰があって初めてルールはルールとして機能するんだと思います。なんの規制もない社会で生きていくプレッシャーと恐怖はものすごいものだと思います。アタシはそんな世界には住みたくありません。

あなたはそこに住みたいですか?

そういう理由でアタシは死刑制度に賛成します。

Aさま

被害者の家族の私個人の考えでは、死刑が必要かか必要無いとかそういうのはちょっと難しくて、いろんな思いが頭と心を渦巻き、はっきりとは考えられません。私個人としては、まみやさんと同じく、「そんな生ぬるい方法で死んでいくなんて・・・」です。すなわち反対。

ごめんなさい、でも、やっぱりはっきり言えません。(頭の中がごちゃごちゃになって)犯人に「この世からいなくなって欲しい」と思いますし、犯人に「何とかして罪を償ってもらいたい」とも思いますし、でも犯人には「犯人がどんなことをしても決して償うことはできない」とも思いますし、かといって犯人が「無期懲役で15年後に出所してくる」のも納得行きません。

たとえどれだけ反省、改心、償いのための行為、疲労、苦労、痛み、後悔、苦しみ、良いこと、悲しみ、家族や周りにかけた苦労、それによる苦しみ、等をしてきたとしても、決して納得出来ない。出来るわけがない。犯人が死刑になったとして、犯人が最後まで自分の身を案じ、死んでいく恐怖にさらされて、姉を殺したコトを悔いて後悔しながら死んでいったとしても、何の念も抱かずにただ恐怖におののいて死んでいったとしても、私は癒されない。

もし終身刑が科せられたとして、食事をとり寝床を与えられ身動きもとれ、社会における人間として機能できなくなっても、人間としてこの地球上に生息することが出来るコトが許せない。

しかし簡単に死んでも欲しくない・・・。

それに、あの時私が姉の言葉を受け取らず、一刻も早く強引にでも姉の待つ駅前まで駆けつけ、同じ女でも空手をやっていた私には護身の術が多少なりともあったので姉の危険は回避出来ていたかもしれない、という後悔と自責の念。

日常生活においても、近年頻繁に報道される凶悪犯罪、殺人、等のニュースを見るたびに、ほんの些細な出来事などでもしかり、上記の思いが私の中をぐるぐる渦巻き、胸が苦しくなります。

私個人としては、犯人がこれほどまでに辛い思いをするとは思えません。むろん、私なんかよりも更に辛い悲しい思いで日々を暮らしておられる方々が沢山いらっしゃるのは承知の上です。(個人的にはアレ、やめて欲しいです、凶悪犯罪のニュース)

犯人が死刑になったとしても、終身刑になったとしても、無期懲役になったとしても、もし私と同じ思いに胸を痛めたとしても(仮に)、今後の一生を台無しにしても、こんな思いはしないであろう、許すことはもちろん、慰めにも償いにもならない。(あくまで私にとっては)結局のところ、まみやさんのおっしゃる通り、どうすることでも癒されません。

めちゃくちゃになってすいません。ただ、死刑は無くしてして欲しいとか有って欲しいとかよりも、もっと納得できるに近い(被害者は決して納得出来ないが)刑罰をつくってほしい。どちらかというと、死刑反対ですが・・・。

Iさま

しかし殺人犯の命では、命を奪った相手の命への代償は払えないと思う、と言うのが私の考えです。

そうですね。殺人犯の命と、大切な家族の命では、比重が違うと思います。殺人犯が死刑になった所で、奪われた命は、残念ながら返ってはきません。

私も、数年前に、知人の家族が行方不明になり、数日後、遺体で発見されたと言う事がありました。遺体を調べた所、車に撥ねられた痕があり、事故の発覚を恐れた運転手によって、山に遺棄されたらしいと言う事がわかりました。犯人はまだ見つかっていません。

知人は「犯人が死んだって許せる事じゃない。生きてるなら、一生をかけて償え」と言っていました。

私が書いた『命を奪った代償は、命でしか返せない』と言うのは、死んで詫びろと言うことではありません。この先、何年、何十年と言う自分の人生の全てをかけて、それこそ、命をかけて、残された遺族に償えと言う事です。

それで、遺族の気持が癒えるのかどうかは、私にはわかりませんが、人の命を奪っておいて、刑期を終えたから償ったと言うのでは、私には納得出来ません。「殺人者」と言う業を一生背負って、どうやったら償えるのか、生きると言う事が何なのかを考えて、一生を過ごして欲しいとは思いますが。

何だか、感情的な発言になってしまいましたが、これが私の率直な意見です。

Hさま

私は、条件付き死刑存続論者ないし、死刑廃止時期尚早論者です。

基本的人権の類
基本的人権についてはいかなる刑罰でも名目上は侵害されます。しかし、それは適正な手続の下で憲法上認められています。ですから、憲法上の人権論に関しては、死刑を否定するような根拠にはならないと思われます。憲法論で問題があるとすれば残虐刑罰の禁止ですが、残虐でない方法で行われる死刑であれば、これにあたらないものと思います。現在の絞首による方法は、残虐性は否定されるものと思います。→死刑存続を肯定。

手続上の問題の類
なお、手続が適正でないとか、えん罪の可能性という問題により、人権の侵害を唱える人がいます(これも人権問題でしょう)。しかし例年、死刑の言い渡し人数は1審判決でほぼ10名以下です(オウムは除きます)。また、執行状況を見ても、年間に多くて数人が執行されるにすぎず、その運用は非常に慎重です。

えん罪の可能性という抽象的な土台で議論をするならば、刑の言い渡しは理論上完全な事実の認定がなければなされず、有罪判決はその確証のもとにあるという抽象的な議論で返すしかないでしょう。そのための三審制でもあります。死刑は取り返しがつかないことを理由に、えん罪を償えないとする人もいますが、懲役にせよ逮捕拘留にせよ、失った時間は帰ってきません。刑事補償も金銭上の問題に過ぎず、無意味です。刑罰というのは、そもそもそういうものだと思います。→死刑存続を肯定。

犯罪防止の類
ただ、一つだけひっかかるのが、「死刑があることによって犯罪を思いとどまることができるか」という問題です。あらゆる犯罪は割に合わないものですが、私はひとつだけ割に合う犯罪があると思っています。

それは殺人です。

どうしても憎い人がいる場合、最高でも死刑ですから、「お前を殺して俺も死ぬ」、これほどわかりやすいことはありません。そういう意味では、最高刑に死刑が座っている必要性は乏しいのかもしれません。それよりは、懲役何百年の方が割に合わない感じはします。→存続にやや疑問。ただ、だからといって死刑の意義が失われるわけでもない…。

以上全部をまとめて…。上記は、「死刑の存続が理にかなわないものではない」ことを書いただけで、「死刑を是非とも存続させねばならない」というのとは異なります。個人的には、いずれ廃止される時が来るにせよ、それは現在の制度が悪いからではなく、よりよい制度ができたからであり、代替手段のないのに死刑を廃止するのは時期尚早であろうと思っています。それが懲役何百年であるのか、終身刑であるのかはわかりません。その点については、またしっかりと詰めなければならないことだと思います。

Dさま

まず死刑制度の有無に関しては、私は必要だと思っています。少なくとも自己快楽や営利目的や自分勝手な思い込み等の為に他人の命を平気で奪えるような人間に同情の余地など無いと思います。私はそう言う人間には精神鑑定の結果に関わらず極刑に処すべきだと思います。

人間の体でも健康に悪影響を与えるような病原体は排除しようとします。社会に於いても他の人間に危害を与えるような人間は排除されてしかるべきではないでしょうか。たった一度の人生を不条理に奪われた被害者。大切な人間を突然失う事になった遺族。何一つ罪のない善良な人達の悲しみを『加害者の人権』の一言で片づけられる訳などありません。被害者の遺族が犯人に死を持って償えと言うのなら、それは償うべきだと思います。

それでもなお、遺族が犯人に更生してくれと願うなら、その時こそ更生の機会を与えられる事を許されるのだと思います。ましてや殺人者の命の安全を国家が保証する死刑制度廃止にはとても賛成出来るものではありません。法は普通の人を第一に守る物であって欲しいと思います。

論点がずれるのを敢えて承知で書けば、同様の理由で過剰防衛と言うのも理解できませんね。自分の身が危ないときにやりすぎないように気をつけろとは私にはとても言える事ではありませんから。長文失礼しました。

PS. これも本題とは違いますが、出来れば婦女暴行と殺人は同レベルで扱って欲しいです。

ありがとうございます

これで「死刑制度は必要か否か」についてのまとめは終了です。お付き合いいただきありがとうございます。光市母子殺害事件に関しては、差し戻し控訴審での死刑判決を最高裁がどう扱うのか、リアルタイムで見ていて感じたことをいまでも憶えています。(とは言え、その段階での国民感情を考えると死刑判決以外の選択肢はないように感じていましたが)

最近はオウム真理教関係者の大量死刑執行が話題になりましたが、「いまの法務大臣すげえな」というのが率直な感想でした。本来であれば、死刑判決が確定した日から6か月以内に法務大臣が執行命令を出し、検察官が執行指揮書を作成し、その命令から5日以内に執行しなければならないと刑事訴訟法で決まっていますが、再審請求中であったり、死刑囚が病気であったり、共犯がいたり、今回のまとめに度々出て来た「冤罪」を考慮したりと、さまざまな理由により6か月以内での執行がとても難しい状況にあるため、現在では死刑判決が確定してから8~10年くらいで執行されることが多いようです。※ちなみに刑事訴訟法では6か月以内と定められているのですが、あくまでも訓示規定(努力義務)とされているそうです。

明らかに冤罪の可能性がなく、再審請求もない場合、かつ、法務大臣が死刑反対派でない場合は早い段階で刑が執行されることもあります。2001年に起きた附属池田小事件の犯人は、2003年8月、大阪地裁にて死刑判決を受け、弁護人が9月に控訴するも自らそれを取り下げ、2004年9月に刑が執行されています。

死刑制度を廃止するのではなく、死刑制度が不要な世の中になることが一番の理想ですが、それは制度のあるなしに関わらず考えなければいけないことであり、死刑制度があろうと死刑判決を受けるような罪をおかす者がいなければ刑は執行されないのですから、死刑制度がないことと同じではないでしょうか。性善説というのは、結局こういう所に帰結するものだと思います。

「回復の出来ない状態」とは死のみならず、拘置所に費やす時間も同じように取り返すことの出来ないものであり、冤罪における長期間の拘束もまた、「回復の出来ない状態」ではないかと、だとするなら死刑の是非よりも、日本における刑事法の在り方についてを根本から考え直さなければいけないのではないかと、こうしてみなさまの発言をまとめながら思いました。

次回からはまたテキトーにお茶を濁す作業に戻ります。ごきげんよう。