ヒト日記リターンズ「本質出るよね」

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ワタシも現場を見たわけじゃないし「真実」や「事実」はわからない。
当事者が発信したもので想像するしか出来ない。
でも、当事者が発信してないことまで脳内で妄想炸裂させて人格にまで言及するのは恥ずかしいことだと思うし醜いと思う。

ちょっと整理してみよう。

1. 当事者A(客)は1週間ほど前に「食べログ」を見て店の予約をした。
(予約はしてあるので「突然押しかけた」わけではない。)
2. 当日19時過ぎ、Aと友人C(小柄な女性)が店に到着。
3. しかし店はビルの中にあり入り口には段差もあるため、車椅子であるAは店にたどり着けない。ここで「ビルのエレベーターが店舗のある2階に止まらない」ということをAが知る。
4. 自分の服装やCの体力などを考慮し、Aは店に入るためには店員の協力が必要だと判断。そこでCが店の様子を伺いにAを残し、店へ向かう。
5. Cは店のスタッフDに「Aを店まで運んで欲しい」と頼む。Dは「今は忙しいが、手が空いたら行く」と了承する。CはAの元へ戻る。
6. AとCは10分ほどビルの入り口で待ったが、Dが来ないため、様子を見に再びCが店へ。
そこでDが「ようやく一段落したので」とAを迎えに行こうとしたが、当事者B(店主)がそれを遮る。
7. 以下会話。
B「車椅子のお客様は事前にご連絡いただかないと対応できません。」
C「あ、でも、車椅子は置きっぱなしで、友人の体を抱えていただくだけでいいんですけど
B「他のお客様の迷惑になりますので」
C「車椅子の人が来たら、迷惑ってことですか?
B「そういうわけじゃ・・・とにかく、うちは店も狭いですし、対応できません」

8. Cは泣きながらAのもとへ行き、店内でのことを説明する。
9. その時Bが、AとCの居るビルの入り口にやって来る。
10. 以下会話。
B「エレベーターが2階には止まらないって、ホームページにも書いてあるんですけどね」
A「ああ、そうでしたか。僕、今回は「食べログ」を見てお電話したので」
B「何を見たかは知りませんけど、予約の時点で車椅子って言っとくのが常識じゃないですか?」
A「いや、それが常識なのか、僕にはわからないです。そもそも、僕はこれまで一度もそんなことをせずとも外食を楽しんできましたし」
B「いや、常識でしょ」
A「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」
B「ええ、どうぞ」「これがうちのスタイルなんで」

11. Aがtwitterにその出来事を投稿。(投稿時間は19時27分)
12. それを見た第三者がBに突撃。
13. 事態を把握したBがtwitterでAに謝罪。(21時20分)
14. それを受けAもBに謝罪。(21時36分)

・・・AやBの「心の中ではこう思っていた」という部分を省くとやけにシンプルな出来事だ。
そして当事者の主観を省くと、いくつか気になる点が。

7.の会話、おかしくね?
この会話自体、書き起こしたAはCからの伝え聞きなのでどこまで正確なのかわからないが。
B「(店側の介助が必要な)車椅子のお客様は事前にご連絡いただかないと対応できません。」
友人CとスタッフDの遣り取りを見かねた店主Bの、店主として極めて真っ当なセリフだ。
何も店主はここで「グダグダうるせぇな、一昨日来やがれ」などとブチ切れたわけではない。
飲食店だろうが服飾店だろうがホテルだろうが、もてなす側の責任の範疇を超える部分に関して、店としての立場を明確にするのは至極当然だろう。

C「あ、でも、車椅子は置きっぱなしで、友人の体を抱えていただくだけでいいんですけど」

・・・事前連絡を受けていないので対応できかねる、と言った店主に対し、随分的外れな要望を述べるC。
車椅子を置きっぱなしにするかどうかの判断は車椅子の所有者Aの判断であり、店主には無関係だ。
それなのに何故「Aの体さえ抱えてくれれば、車椅子にまでは気を使わずとも良い」という、論点のズレた発言が出るのだろう。
店主は車椅子の重さや大きさを問題にしているのではない。心の準備も受け入れ態勢も整っていないから、もてなせない、と言っているのだ。
B「他のお客様の迷惑になりますので」
店に客を残し、スタッフDがAを運ぶことにのみ従事した場合、その間残されたその他の客は何のサービスも受けられない。
たった5分の間だったとしても、その5分間A以外の客は放置されるのだ。
そこに「放置される客の優しさ」は関係ない。現象として「放置される」という事実があるのだから。
上記店主のセリフの意図は「他のお客様がいやな思いをするから」ではなく、あくまで「もてなす側」からの視点で「迷惑をかけたくない」という主観。
実際に迷惑かどうかなんて、客の性格や生き様や環境によるのでいくら「店の主」と言えども見通せることではない。
C「車椅子の人が来たら、迷惑ってことですか?」

飛躍し過ぎである。

「車椅子の人(障害者)が迷惑」なわけではない。
対応しきれないことが予測される状況で、安易に引き受けるとそのしわ寄せが余所に行く、ということを懸念しているだけだ。Cのこの発言が、会話の流れが、Aのブログに書いてある通りのものだとしたら、むしろ差別心を持っているのはCではないだろうか。
事前の準備が出来ていないので対応できない、という店主Bの発言を「障害者だから対応できない」と受け取るのは、常に「車椅子」を「特殊なもの」と考えているからではないだろうか。

仮にこれが障害者ではなく、「平坦な道なら歩けるが階段をのぼるのは辛いお年寄り」だった場合、
店は(店主Bの発言の意図が前述通りだったとすれば)変わらず「対応できない」し「他のお客様の迷惑になる」から断るだろう。
しかしここで「お年寄りが来たら、迷惑ってことですか?」と訊ねる人が果たしてどれだけ居るだろうか。少なくともワタシは訊ねない。

Cに差別心がないとするならば、介助の協力を断られたことに対して泣く理由などどこにもない。
楽しみにしていたディナーが食べられないことへの悲しさから、だとすればわからなくもないが大のおとなとしては多少無理がある。
「大切な友人Aが障害者だということを理由に入店を拒否された」と思うからこその涙ではないだろうか。
障害に対してニュートラルな考えの持ち主であれば、そこは泣くところではない。
「店側の介助が必要な場合は事前に言ってもらわないと対応できないよ」と言われただけなのだから「そうですか、じゃあ今度はそう言って予約します」で丸くおさまる。

・・・ちなみに拒否されたのは「入店」ではなく「介助」である。

B「そういうわけじゃ・・・とにかく、うちは店も狭いですし、対応できません」
ここまで店主Bの言動を好意的に受け止めて来たが、ここで台無しである。
「車椅子のお客様は事前にご連絡いただかないと対応できません。」
じゃあ事前に言えば対応出来るわけだ。店主の言い分にもあったように入り口に近い席を用意する、客の入り時間を調整する・・・

・・・店も、広く出来るのか。

いやいや店主、事前に言ってあったとしても、店の狭さは変わらんだろう。
サイトのインフォメーションにも「店内に段差があり、店内に余裕がなく、車椅子をおくスペースがない」と説明があったが、店主の言い分を通すとするなら、事前に言えば店内の段差は消えるし店内に余裕が出来て車椅子を置くスペースまで用意出来るかのようである。
店の狭さと、事前連絡には、何の関係もない。これは店主の後付けの言い訳に過ぎない。

「スムーズに案内出来るか否か」に焦点を絞って釈明すれば良かったものを、店の狭さや造りに対しこれでもかと言及している店主の意図は「Aの介助を断ったこと」に対する「敵(主にAの信者)への言い訳」の数を増やし自己を正当化したい、それだけである。

まあ、店を貸切にして不要なテーブルや椅子を店の片隅に積み上げスペースを確保する、という手がないわけではないので、それを考えると「店を広くする」ことも可能なのかもしれないが、「事前に事情がわかっていれば入り口に近いお席にご案内して入店のストレスを軽減したり、ほかのお客様の入店時間をずらしてスタッフがご案内できる余裕を持たしたり対応させていただきました。」と店主が言っている以上、店の狭さは今回の件に関して言えば、さほど重要ではないし問題ではない。

そしてAのブログによれば、8.の時点ではまだAはBに対して悪い感情を抱いてはいない。
ここで終わればたいした波風も立たず、Aは「自分のせいでCに迷惑かけちゃったな」という配慮も出来るナイスガイ、今度は事前に車椅子であることを告げて来店しようね、でめでたしめでたしだったわけだ。
ここで終わればAに落ち度はない。
店主、ちょっと融通利かなくね?で済んだ話。
どこにも「障害者差別」などというものなどないのだ。Cの胸の内以外には。
なのでこの件を「障害者差別」として論ずること自体、そもそもおかしな話。

しかしここから事態は急変する。
何故店主Bは仕事の手を止めてまで、友人Cを追ってビルの入り口に降りて来たのか。
「事前の準備が出来ていないので対応しかねる」と言った店主に「じゃあ今度は事前に連絡するので対応してください」とCが引き下がれば、BがCを追う必要も理由もない。
わざわざ追って来たということは、Bには追うだけの理由があったということになる。
Cが泣きながら店を飛び出した、Cの態度に納得がいかなかった、Cが泣き出したので後味が悪かった、いずれにせよ何か理由があったのだろう。
理由も必要もなければ、Aに「その余裕があるなら、ご対応くださっても・・・」と思われても仕方あるまい。

B「エレベーターが2階には止まらないって、ホームページにも書いてあるんですけどね」
客の総てが店のサイトを確認していると思ったら大間違いである。
A「ああ、そうでしたか。僕、今回は「食べログ」を見てお電話したので」
当然こういう客も居るだろう。食べログはそのためにあるサイトなのだから。
自サイトじゃ足りない部分を外部サイトに担わせているのだから、食べログの店舗情報にも必要な情報を記載して当然だ。
B「何を見たかは知りませんけど、予約の時点で車椅子って言っとくのが常識じゃないですか?
・・・本当に店主がこう言ったのだとしたら、少々店主の神経を疑われてもしょうがないだろう。
見てもらうために自サイトを作り、更新し、食べログに店舗として登録してまで店のアピールをしているにも関わらず、そのおかげで集客出来たことをまるで「自分には関係ない」と言わんばかりのセリフが出て来ることに疑問を感じる。

ちなみに、予約の時点で「車椅子です」と告げるのは、常識ではなくマナーの類だとワタシは思う。
「小さいこどもが居る」「女性5人で」「静かな席で」など、予約の際に条件や希望を述べるのは、店や他の客に迷惑がかからないようにという配慮と、自分たちが快適にその時間を過ごせるようにするための事前準備であり、「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。」とは若干異なる。と思う。

A「いや、それが常識なのか、僕にはわからないです。そもそも、僕はこれまで一度もそんなことをせずとも外食を楽しんできましたし」
Aが今まで「外食を楽しんで」来られたのは、Aの預かり知らぬ所で他の人間が配慮をしてくれていたおかげであり、自分は配慮などしたことがない、と言い切って見せるのはいささか恥ずかしいことではないだろうか。
予約の際「車椅子なのですが」と伝えることが常識だとは思わないが、伝えないことが当然であるともまた思わない。店や他の客に対する配慮を「そんな(面倒な)こと」と言ってしまう辺りが「弱者を気取った強者」「車椅子の王様」「横暴極まれり」と言われたのだろう。括弧内はワタシの印象なので、別の言葉を入れてくださっても構いません。だが会話の流れから察するに、ポジティブな言葉は入らないと思う。「そんな(素敵な)こと」とか「そんな(立派な)なこと」とか。

B「いや、常識でしょ」
A「じゃあ、それが本当に常識なのか、広く世に問うてみましょうよ」
B「ええ、どうぞ」「これがうちのスタイルなんで」

残念なことにAが「広く世に問うた」のは「予約の際、車椅子であることを告げるのは常識か否か」ではなく、「ムカつく店主と自分、どっちがバカなのか」である。

Aは今起きたことをtwitterでつぶやいた。
後にAがしたためた「詳細な経緯」などまったく想像出来ない程、そのツイートは悪意に満ちていた。
140文字以内という制限のあるtwitterで物事を伝えるには余計な情報は削ぎ落とし、簡潔な文にしなくてはならない。しかし「簡潔にすること」と「事実を曲げること」はまったく異なる。削ってはいけない部分を削ってしまうと、物事は正しく伝わらない。しかしその時のAには正しく伝える気などなかっただろう。

Aのツイートを読む限り、そのレストランの店主はAが車椅子であることを理由に入店を拒否した、となっている。それが本当ならば許されないことだ。
しかし後にAの書いた詳細な経緯を読んでみると、Aの最初のツイートとは随分と印象が異なる。
店主が拒否したのは「入店」ではなく「介助」だ。
仮にいつものようにAのスタッフが同行し、Aを店内まで運ぶことが出来れば、まさか店主もそれを叩き出したりはしなかっただろう。

事前連絡のない、店主の中での常識から外れた行為に及ぶ者。店主からすれば、決して愉快な相手ではない。その時点でAは店主にとって「常識外れの人物」なのだ。それだけですでにAにも非がある。
しかしあたかも自分には非などないように、Aは一方的に相手を吊るし上げた。一方的な言葉で。Aの熱心な信者や、他人の不幸が美味し過ぎて堪らないヤカラたちは店主を批判した。twitterで、メールで、電話で。Aの言うことに疑いを持たず、一方的に店主を悪だと決め付け、嫌がらせを行った。

さて。

60万人のフォロワーを持つAは、自分の一方的なつぶやきを読んだフォロワーの中から、Bの店への営業妨害に及ぶどあほうが出てくることをまったく想像していなかっただろうか。
これは「超えちゃいけないライン」を考えられるひとであれば、そのような愚行には及ばないので、もしかしたらAにも想像出来なかったかもしれない。
まったくの部外者が店に電話をかけて店主に物申すなど、「常識的」に考えればあるはずがないのだ。
では、twitterでBに苦言を呈する者が出て来ることは、想像出来なかっただろうか。

・・・想像出来なかったとしたら、とんだお馬鹿さんである。

今まで、Aに弓を引いた者がAの熱心な信者によって叩きのめされtwitterから追われる様を、Aは幾度となく目の当たりにして来たはずだ。客観的にAが正しいか間違いかは問題ではなく、Aを正しいと信じて疑わない第三者によって、心無い言葉を浴びせられ精神的に追い詰められ、逃げるしかなくなったひとたちを。

Aは実際にBの店舗を攻撃させ、信者に営業妨害をさせてやろうとは思っていなかっただろう。
しかし、twitterでBに対して怒涛のリプライがあることくらいは、想定済みだったはずだ。
想定出来て当たり前だ。
それを踏まえて言うなら、今回のAの「twitterで店名晒して吊るし上げ」は、大人気ないし格好悪い。
Bに同情の声が上がるのもうなずける。
自分の発した言葉による他人への被害の責任を取れないAは、一方では立派な加害者だ。

だからと言って
まるで自分自身が多くの賛同者を得たかの如く、ここぞとばかりにAをこき下ろしてるバカには正義もへったくれもないのだ。文脈も読めずお門違いな批判をしているヤカラは多数派であろうとイタイことに変わりはない。
自分がバカであることを、そこまで披露しなくとも良いのではないか。

twitterでワタシが引用した

乙武が取締役の保育園「まちの保育園」
そこの入園募集要項に「集団生活に支障があると判断した場合には
入園をお断りすることがございます。」の一文が。
障碍児とは書いてないものの集団生活に支障がある人を差別してるのではないか?

これに関してはもう、おバカさん、以外にかける言葉が見つからない。

「集団生活に支障がある」と判断されるようなこどもに、それは差別だからと集団生活をさせることが、そのこどもにとってしあわせだと思ってんのか?一切の区別なく、とにかくみんな同じ環境で育てることが、差別のない良い環境だとでも思ってんのか?

みんなと同じように出来ないことが、心の傷になることだってある。みんな対等で平等で、同じものを、同じ環境を与えることが差別のない清浄な世の中だとか思ってんじゃねえ。学校に「特別学級」があることの意味を考えろ、スカタン。

今回の「イタリアン入店拒否」に対して、有意義な議論を交わしているコミュニティもあると思う。
しかしそれは、今回のことに限定して差別だなんだと論じるのではなく、それをきっかけにバリアフリーとはなんぞや、という展開をしていかないと、単なる悪口のぶつかり合いでしかない。

日本人のバリアフリーに対する姿勢や考えは、まだまだ外国の足元にも及ばない。でもそれは「発展途中」にあるだけで、これでいいと思っているから立ち止まっているというわけではない。草生やして有名人disってる暇があるなら、身近なものに対してもう少し真摯に向き合えばいいと思う。

ああ・・・長かった・・・書いたワタシも疲れたが、読んだあなたもお疲れでしょう。
読んでくれてありがとう。